西ドイツ製のリンホフテヒニカ5型という機動力の低い、不自由なラージサイズのカメラで風景写真を撮り始めたのは、
目の前の “ 風景 ” を “ 私 ” というものを介在させずに写真にしたかったからだ。
車で1日中走り回り、心に留まったものを撮り始めたのは2006年頃だったと記憶している。
はじめの頃、東京近郊の房総半島に行き秋の誰もいない海岸で「ニューポパイ」という海の家を撮った。
西日がレンズに直接入り込んできて、すごく眩しかった。
波の音しかしない砂浜で、ベニヤ板に赤いペンキで「ニューポパイ」と書かれた看板を見ていたら、
不思議とこの世ではないところにいるような感覚に襲われた。
その風景はとても静かだった。

何度目かの旅で、下北半島に行きたいと思い、青森に向かった。
青森は祖父母の故郷だった。
夜、八戸近郊の国道を走っていると、遠くに季節はずれの打ち上げ花火が見えた。
同じところに何度も同じ花火が上がっていた。
近づいてみると、それはラブホテルの屋根に装飾されたネオン管の花火だった。
私は迷わずそれを撮影した。
カメラはネオン管の光だけでなく、夜空の濃紺のグラデーションも写してくれた。
ビジネスホテルに泊まるのは面白くないと思い、その夜は近くにあった別のラブホテルに泊まった。
そのホテルの入り口には赤と緑に光るネオン管があり、私はそれも撮影した。
プリントした写真には赤と緑の間に肉眼では見えなかった黄色の光が写っていた。
翌日部屋を出ると、ホテルのピンクと青と緑の外壁が朝の光を浴びていた。
まだ太陽は低い位置にあった。
ホテルのおばさんに怪しまれながら、私はその景色も迷わずに撮った。
ひょっとしたら独り、ほくそ笑んでいたかもしれない。

写真を撮るために日本全国、たくさんのところに行った。
そして撮り続けるにしたがって自分が日本列島の端へ端へ行き着いていることに気がついた。
多くの半島に行き、多くの海岸線を走った。
辿り着いたその先っぽや端っこで、辿り着いた時には既にそこにあった何かを撮り続けた。
それはラブホテルの時もあれば、パチンコ屋やゲームセンターの時もあり、多くは独特な装飾に覆われていて、作った人の意図を遥かに超えて、
既に風景の中にあった。 だが私はその装飾の面白さだけを写真にしたいと思っていたのだろうか。
もしそうではないとしたら、私は “ 私 ” とは無関係な “ 風景 ” を探して、偶然出会ったカラフルでバッドセンスな人工物に一体何を見ていたのだろう。
私に言えることは、その何かは私が辿り着いた時には既にそこにあり、そこで吹き溜まっていたような、
或いは陽の光を浴びていたような、或いは風に飛ばされてしまっていたような何かだ、ということだ。
私は今でも不自由なテヒニカを持って車を走らせる。


TAKAMURADAISUKE

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